創業70周年にあたって

 平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

 当社は昭和27年に、現在本社となっております東京都文京区湯島1丁目において創業者 大林 惇が10名足らずの社員でモノづくりをはじめ、お蔭様で今年で70年を迎える事となりました。

 戦前、大林はこの地で創業する前に中国の北京にて前身事業をスタートさせておりました。

 北京で終戦を迎えましたが、中国当局の保健衛生省より、戦後の中国国内の混乱期において医療機器メーカーが無くなってしまうのは困ると強く申入れがあり留用され、昭和23年に私財を全て残し、大変な苦労を経て日本に引き揚げて参りました。

 当時の本郷界隈には、多くの畳や瓦礫が本郷通りをはじめ道路の中央に山積みされ、空襲の爪痕を残していたと聞いております。

 そのようななか、大林の特許であった「ブッキーブレンデ」を用いたエックス線の撮影台や可動絞り装置の製造を始めました。

 昭和30年代半ば、この創業の地 湯島(お茶の水)でのモノづくりが手狭となってきたため 埼玉県川口市へ製造拠点を移し、現在に至っております。

 その後は撮影台だけでなく、国立病院、研究施設で陽子線や重粒子線を用いた癌治療装置の「高精度で多重軸を持つベッド」の開発設計、また鹿児島県の施設では、エックス線シュミレーター、CT、放射線治療装置の「3種類の装置に対してたった1台で対応可能にした治療ベッド」の設計・製造などのご用命を賜り、会社の規模以上に多くの大型開発案件に携わって参りました。

 昨今、世界的にCOVID-19のパンデミックが襲い、今なお猛威を奮う予想し得なかった状況がまだまだ続いております。経済の先行きも不透明ではございますが、コロナワクチンの接種も始まり、安全・安心を謳ったTOKYOオリンピックも開催される運びです。

 医療技術の進歩と重要性も再認識され、尊い命と向き合い奔走される医療従事者をはじめとする方々への日々のご勇姿とご尽力には、平身低頭、心より感謝申し上げる次第です。

 これからも私どもはチャレンジ精神を忘れる事なく、積極的に事業を推進し、日本のみならず世界中で明るい未来が開けるよう、引き続き医療業界の発展と社会貢献に邁進努力し続けて参る所存です。

 今後とも、皆さまのご指導ご鞭撻を頂戴致したく、何卒宜しくお願い申し上げます。



 令和3年7月1日

代表取締役会長 大林 清人 
代表取締役社長 飯島 秀幸